サラ金(サラリーマン金融)の意味。実は奈良時代からある貸金業の歴史

「サラ金(サラリーマン金融)」という言葉を聞いたことはありますか?

「サラリーマン専用の金融会社?」「それともサラリーマンが金融業をすること?」

いいえ、サラ金とは今でいう消費者金融のことです。かつて、消費者金融が「サラ金」と呼ばれていた時代がありました。

なぜそう呼ばれていたのか、その由来と、実は奥が深い貸金業の歴史について徹底解説します。

歴史は古い!!古代の貸金業

現代ではATMで気軽にクレジットやキャッシングを利用することができます。女性向け学生向けなど、サービスも多様化して便利ですよね。

ところで、金融業・貸金業っていつごろからあったのでしょうか?

その歴史は古く、農耕が始まったときにまでさかのぼるとされています。今でいう「利子」のシステムも、この頃からすでにあったようです。

ただ、当時は現金ではなく、お米の貸し借りが主流でした。

融資の始まりはお米 弥生~飛鳥時代

毎年、収穫の時期になると、その年に初めて収穫されたお米(初穂)は神聖なものとして神社に奉納されました。初穂は神社の倉に大切に保管され、翌年の春にはその種籾が農民に貸し出されます。農民はその種籾で稲作を行い、収穫したらお米を返す。ただし、お礼の気持ちを込めて借りた分よりちょっと多めに返しましょうかね…というシステム。

つまり利子の習慣ができたわけですが、利子を「取られる」というよりは「感謝の気持ちですから、どうぞ受け取ってください」という感覚が強かったのですね。

貸し借りの理由も、豊作を祈願するために、神社に奉納されていた神聖な種籾をあえて借りる、という儀式的なことだったようです。

飛鳥時代になると、神社ではなく政府がお米の貸し出しを行う「出挙(すいこ)」という制度が始まります。

出挙(すいこ)

国が利子付きで米の貸付けを行う制度。公出挙(くすいこ)とも呼ばれます。不作の年でも安定した税収を得ること、貧民や何かの事情で前の年に収穫があげられなかった人たちを支援する目的で始まりました。利息は30~50%であったと言われています。

う~ん、公的な貸付けにしてはかなり金利が高いような…!?

しかし、古代の貸し借りは基本的に、儀式や貧民救済の一環として行われていたのであり、今のように利息を取って儲けるとか、個人が自由に使うために借りる、という感覚ではなかったのですね。

それが奈良時代になると、高利貸っぽい人たちが登場してきます。

お寺で金融業!?お坊さんが高利貸になった奈良時代

奈良といえば東大寺の大仏さま。大仏さまといえば聖武天皇。そして聖武天皇といえば仏教ですよね。

聖武天皇が即位した当時は、まさに大変な時期でした。相次ぐ大地震に、天候不順による大飢饉、疫病が大流行して、おまけに家臣にまで反乱を起こされ…

そんな残念な天皇が、唯一のよりどころとしたのが仏教に救いを求めることでした。こともあろうに寺院に自らの財産を寄付し、代わりに「仏教の布教活動を永遠に続けるように」と命じる「修多羅供事」というおふれを出したのです。

その頃ですから、財産といっても現金ではなく土地やお米、布や酒など。しかし土地はともかく、いくら莫大な財産でも使えば減りますよね。そんな限りある財産で、未来永劫にわたって布教活動を続けろって言われても…ねえ…。

そこで、お坊さんたちは考えた。寄付された財産を自分たちが使うのではなく、人に貸して儲けようではないか、と。寄付されたものを必要な人に貸す。つまり融資する。そして返してもらうときは、感謝の気持ちとしてチョッピリ色をつけてもらう、というわけ。

今でいう「運用して増やす」ことを思いついたんですね。

なるほど、この方法なら寺院の資産を減らさず、天皇の命令も守れる。しかも世の中の役に立つ。

ナイスアイディア!!…ですが、いつの時代にも悪知恵の働く人はいるもので。

僧侶でありながら布教活動はどこへやら、ただ私腹を肥やすために、困っている人の足元を見て法外な金利で貸付ける。あげくに自宅まで取り上げて暴利をむさぼる。そんなけしからん者も横行してしまったのです。

さらに平安時代になると、国が行う公出挙に加え、民間人が自分の資産を高利で貸付ける「私出挙(しすいこ)」が見られるようになります。貸付けもお米に限らず、お酒や布など多様化してきました。利息も100%を超えることもあったとか…

高利貸し、いわゆる闇金の原型ができたのがこの頃だったんですね。

モノから金融へ 鎌倉~室町時代

時代は鎌倉へ。この時代の注目ポイントはこの2点でしょう。

  • 政府が利息の規制を始めたこと
  • 協同組合的なものができたこと

貿易もさかんになり、貨幣も流通しはじめたこの頃は、金銭による貸付けがトレンドになってきます。

用途の限られるお米や物品よりも、マルチに使える貨幣のほうが便利ですからね。

その結果、高利で金銭を貸付ける私出挙がエスカレートしたため、政府はついに上限金利規制に乗り出した、というわけです。その内容はというと…

  • 私出挙の利息は、元本の2倍まで
  • 金銭による貸付けなら元本の1倍まで
  • つまり、10万円相当の物品ならば利息が20万円まではOK(最大20万円+元金10万円で30万円返済)

    現金で10万円ならば利息が10万円まではOK(最大10万円+元金10万円で20万円返済)

室町時代には「無尽講(むじんこう)」というシステムが登場します。これはいわゆる協同組合の原型。同時に地域の助け合い集団でもありました。

無尽講

民間の資金融通組織。個人や団体が集まってグループを作り、一定の期日になると、みんなが決まった掛け金を持ち寄ります。集まったお金はメンバーの誰かが順番に受け取っていき、全員が受け取った時点で終了。頼母子講ともいわれます。

一見するとプラマイゼロであまり意味がないようにも思えますが、もし急にまとまったお金が必要になったときなんかは助かりますよね。しかも借金しなくても済むわけですし。

この無尽講はその後、現代の地方銀行へと発展していきます。

両替屋さんが大活躍!江戸時代

そして時代は動いて戦国の世へ。

歴史好きにはとても面白い時代ですよね。しかし貸金業は低迷を極めておりました。

とにかく世の中が不安定、いつどこで戦乱が起こるかもわからない。領主もころころ変わるし法律だってあってないようなもの。下手に催促なんかすれば殺されちゃうかも…

こんなときに誰も貸金業なんかやりたがりませんよね。

だから貸金業がぐっと発展するのは江戸時代に入ってからです。

このころ大活躍したのが時代劇でもおなじみの両替商。

両替といっても今のように千円札を100円玉に換える、というものではありませんよ。

今では日本のお金は円で統一されていますが、この時代は「三貨制度」といって、金・銀・銭(銅)という3種類の貨幣が使われていました。そのころの両替商さんたちの業務は何かというと…すごかったんです!!

  • 単位が両、分、朱、貫、匁、文、貫文…と、いっぱいあってややこしい
  • 「東国の金遣い、西国の銀遣い」と俗に言われるように、地域ごとに金が使われたり銀が使われたり…と流通範囲もバラバラ
  • 金・銀のような高額貨幣と銭との価値が違いすぎて換算が難しい
  • 一両って銭にしたら何文なの?!というわけ。

  • 為替レートと同じく貨幣価値も変わる
  • 今の円高ドル安みたいに、銭高両安もあったのでしょうか。

そんなややこしい背景もあって「三貨」を正確に交換できる人がぜひとも必要だったんですね。

その後、両替商の業務内容は大きく広がり、大名や商人を相手に預金や金銭の貸付け、手形・為替の発行や決済など、幅広く金融業務を行うようになりました。

このころの大手両替商、三井や三菱などは今の大手銀行のルーツとなっています。

庶民相手の貸金業

江戸時代の両替商は主に大名や商人などを相手に金融業を行っていました。では一般庶民にお金を貸してくれる業者はなかったの?

もちろんありました。

ここからは庶民相手の金融業者にスポットを当ててみましょう。

いろいろな高利貸し 江戸時代

江戸時代よく利用されていたのが日銭貸しなどと呼ばれる短期の高利貸しでした。

  • 日銭貸し
  • 借りたらその日のうちに1%の利息をつけて返済。

  • 百一文
  • 朝百文借りて、夕方百一文返す。

  • 烏金(カラス金)
  • 借りた翌日の早朝までに返済。利率は1日に2~3%から10%と高金利。夕方になってカラスが鳴くころになると利息がつくということからこう呼ばれるようになったと言われています。

  • 座頭金
  • 盲人による貸金業。当時、幕府は盲人保護のため、高利を取って金貸しをすることを特別に認めていました。幕府の後ろ盾がついているからかなり強気。利息プラス礼金として20~40%もの暴利をぶん取っている者もいたといいますから、相当のワルよのう…ですよね。

日銭貸しや百一文は、生活費や行商人がその日に売る品物を仕入れるために利用されていましたが、烏金や座頭金は夜の遊びや賭博のために借りる人が多かったようです。同じ日銭でも目的が違っていたのですね。

それにしても、法外な金利。わざわざこんな所から借りなくても質屋さんに行けばもっと楽なのに…と思いますよね。

でも、今も昔もワケありの人はいたわけで。

もう質草にするものもないような人、とにかく切羽詰まって、貸してくれるところならどこでもいい人、おおっぴらにお金を借りることのできない人…

こういう人たちが最後に頼るのは、やっぱり闇金系になってしまうんですね。

庶民のための金融機関 質屋さん

上記のようなワケありの人たちはともかく、庶民の金融機関の代表選手といえばやっぱり質屋さんでしょう。

質屋

お客から品物を預かり、引換えにその価値に見合った現金を融資する業者。

期日までに返済すれば預けたもの(質草)は返してもらえます。返済できなければ「質流れ」といって、質屋さんのものになってしまうシステム。

質草として持ち込まれるのは衣料品が圧倒的に多かったそうです。ついでキセル、鍋や釜、食器類など。実用的で長く保管できるものが好まれたんですね。

ちなみに、完済しなくても利息分さえ払っていれば質流れにはなりませんでした。

だから、冬には使わない蚊帳を預け、夏になると今度は布団を預けて代わりに蚊帳を受け出していく。

親の形見の高価な着物や簪、骨とう品など、長屋に置いておくのは心配だから、質屋さんに預かってもらおう、などという人も多かったとか。

レンタル倉庫として利用する方法もあったんですね。

ところで質屋の利子ってどのくらいだったのでしょうか?

利息は原則として月計算。1895年に公布された質屋取締法では「貸金25銭以下で月1銭,1円以下で月4%、10円以下で月3%以下」とされていました。明治24年の神奈川県の質屋さんの平均値として、1円で3銭2厘、10円で25銭4厘という記録が残っています。

さらに、このころの相場を見てみると…

  • 職人の手間賃…1日30銭
  • 農民日雇い…1日15銭
  • 炭1俵…20銭
  • 米1升…10銭

きちんと働いていれば十分返せる金利ですよね。

借入れ額は50銭くらいが最も多かったそうです。いくら貸せるかは、持ち込まれた物の価値や状態を見て質屋さんが決めるのですが、常連客にはちょっとオマケしてくれることもあったとか。

大正時代になると低所得者がより低金利で借り入れできる「公益質屋」が登場します。

そして昭和。戦後の混乱期には、とにかく食糧を買うためのお金欲しさに多くの人々が着物や家財道具を持って質屋に殺到することになります。

高度経済成長を迎える1960年代くらいまでは、庶民の金融機関といえば質屋さんだったのですね。

サラ金の誕生

ところが1960年代になると、質屋さんを利用する人は激減してしまいます。

原因は、高度経済成長によって人々の暮らしが豊かになり「大量生産・大量消費」のライフスタイルが定着したこと。新型商品が次々と開発され、流行も変わる。使い古しで、しかも流行遅れのものなんか誰も買わないよ、というわけ。

こうして多くの質屋さんが廃業に追い込まれました。

代わって勢力を伸ばしてきたのが「団地金融」と呼ばれる無担保・無保証人の金融業者です。

ステータスだった!?「団地金融」

団地金融(勤め人信用貸し)とはその名の通り、団地に住む人を顧客とする金融業者です。

1960年代の団地は、住人の多くが公務員や一流企業の社員でした。「団地族」といえば「ヒルズ族」などと同様、エリートや高給取りの集団というイメージがあったのですね。一定のステータスのある人たち。安定した収入があり、世間体もある。つまりキチンと返済してくれる優良顧客というわけです。

所得もどんどん上がり、サラリーマンは終身雇用や定期昇給、年功序列が当たり前だった時代。収入以上のお金を借りても「出世払いでなんとかなるさぁ~」というノリで、無理な借入れを行うことも多かったようです。

ちなみに、当時の上限金利はなんと109.3%!!

すごくないですか?!借りた額の倍以上返さなければならないんですけど…。

現在の貸金業法では、上限金利は20.0%と定められています。それを思うとめちゃくちゃな高金利ですよね。

この団地金融がその後サラリーマン金融(サラ金)と呼ばれるようになり、社会問題となるのです。

地獄の取り立て…サラ金地獄

1970年代に入ると、団地金融は「サラリーマン金融(サラ金)」と呼び名を変えました。

サラリーマン金融(サラ金)

個人向けに無担保で貸付けを行う業者。サラリーマンを対象にした業者が多かったことから、こう呼ばれるようになった。「サラリーローン」あるいは市街地に営業所があることから「街金(まちきん)」とも呼ばれる。

現在、借金の取り立て行為は貸金業法21条で厳しく制限されています。例えば夜中の電話や訪問、借金の事実を他の人に知らせる、家族などに代わりに返済するよう強要するなどの行為は禁止されています。

しかし、このような規制のなかった当時はまさに地獄のような取り立てが平然と行われていました。

夜中に家に押しかける。借金のカタだと言って家財道具を無理やりぶん取る。玄関に「カネ返せ」などの貼り紙をする。職場にしつこく電話したり、押しかけたりする。子供の学校に現れる。離れて住む家族や親戚の家にまで取り立てに行く。借主の自宅に大量に出前の注文をする、救急車や消防車を呼ぶといった嫌がらせをする…

連日のように繰り返されるこんな行為に疲れ果て、自ら命を絶ってしまう人も少なくなかったといいます。

1970年代後半、このような暴力的な取り立て行為が社会問題となり、テレビでもCMの自粛を求められるなど、サラ金批判の風潮が広がっていきました。「サラ金地獄」という言葉も生まれ、すっかり「サラ金=悪徳業者」というイメージが定着してしまったのです。

1980年代になると、サラ金は「消費者金融」と呼び名を変えました

その背景には、サラリーマンだけでなく、自営業者、OLや主婦などの利用も増えたことがありましたが、サラ金にまつわるマイナスのイメージを払拭したいというねらいもあったものと思われます。

この頃になると政府の各省庁もようやく改正に乗り出してきます。まず1983年、貸金業法が改正され、109%を超えていた上限金利が73.0%にまで引き下げられました。

上限金利引き下げの推移

1983年 109.5%~73.0%
1986年 73.0%~54.75%
1991年 54.75%~40.004%

この改正で、悪質なサラ金の多くが姿を消しました。一定の効果はあったのですね。

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消費者金融の光と影

このようにサラ金業界への風当たりが強まって、さぞかし大ダメージだったろうなと思いきや…1990年代には利用者はむしろ激増。

理由として、バブル崩壊で職を失い生活に困って借金する人が増えたこと、無人自動契約機の登場で申込みのハードルが下がったことが挙げられるでしょう。

こうして消費者金融業界は飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長を遂げました。

2000年代に突入してもしばらく勢いは止まらず、自粛して深夜の時間帯にしか放映していなかったテレビCMも、ゴールデンタイムに堂々と流れるようになりました。

ちなみにこの頃のCM、やはりクリーンなイメージを重視してか、好感度の高いタレントさんやスポーツ選手を起用する傾向にありましたね。サッカーのジーコ選手、シルバーのレオタードで踊るお姉さま軍団は覚えている方も多いでしょう。チワワの「くぅ~ちゃん」なんか大ブームになりましたよね~。

どことなく後ろめたいイメージの「借金」から「キャッシング」「カードローン」と呼び名もオシャレに。レディスローンや女性専用ダイヤルなどの女性向けサービス、自営業者向けのビジネスローンなど、各種サービスも充実しました。

いわば消費者金融の光の時代ですね。

消費者金融が決定的なダメージを受けるのは2006年から。

最高裁判決により「過払い請求」が認められると、一気に影の時代へと転がり落ちていくのです。

過払い請求

貸金業者がお金を貸すとき、上限金利が法律で決められています。しかし法律には出資法と利息制限法の2つがあり、出資法が29.2%、利息制限法が20%とバラバラでした。

当然ながらほとんどの貸金業者が高い方の上限金利で計算します。しかし法改正により20%に統一され、20%を超える利息は返金手続きをして取り戻すことができるようになりました。この払いすぎた利息を過払い金、返金手続することを過払い請求といいます。

以降、過払い請求が相次ぎ、今までとは逆に消費者金融のほうが返済に困ってしまったわけです。倒産する業者も続出しました。

そこへ相次いでやってきたのが「貸金業法改正」です。主な改正点は次の通り。

  • ? 総量規制
  • ? 金利引き下げ
  • ? 取り立て時の禁止事項が設けられた

では一つずつ解説していきましょう。

? 総量規制。個人にお金を貸すときは、その人の年収の3分の1までしか貸してはいけないという決まりです。誰にでも言われるままに貸してたら、ついつい借りすぎちゃって返せなくなって可哀想でしょ、というわけ。

? 金利引き下げ。上限金利がさらに引き下げられました。

2000年 40.004%~29.2%
2010年 29.2%~20%

出資法も上限金利20%に統一されて、いわゆる過払い金(グレーゾーン金利)で儲けることができなくなったんですね。

? 取り立て時の禁止事項。取り立てマナーの改善ですね。夜間はもちろん、昼間でも執拗・暴力的な取立て行為をしてはいけない。職場に押しかけたり、大声で「金返せ~!!」などと怒鳴って、借金の存在を他人に知らせたりすることも禁止。「生命保険があるやろが~!」など、暗に自殺を促すこと、自殺による生命保険金での弁済も禁止。

どれも当たり前と言えば当たり前ですが…消費者保護の傾向が強まったことで、営業しにくくなったのは確かでしょう。

そんなこんなで2006年以降、消費者金融はすっかり勢いをなくしてしまったのです。

今どきの貸金業

過払い請求と貸金業法改正で、まさに大不況に陥ってしまった貸金業界。ここから必死の生き残り作戦が始まります!

有名銀行グループに

最近、大手の消費者金融会社には、たいてい銀行名や「○○銀行グループ」といった呼称がつけられていますよね。

例えばこんな感じ。

  • アコム株式会社…三菱UFJフィナンシャル・グループ
  • 株式会社SMBCモビット…三井住友銀行グループ
  • SMBCコンシューマーファイナンス(プロミス)…SMFGグループ
  • 新生銀行カードローン レイク

なんとか生き残るためには、有名銀行の傘下に入ることが最善策だったのですね。

こういった大手銀行が行う融資は主として大企業向け。個人向け融資もやりたいけど、1人が借りるお金ってせいぜい数万~数十万円ぽっちでしょ。しかも莫大な人数。なんか利益も少ないし面倒くさいよなあ~というわけで、あまり力を入れてきませんでした。

一方で、消費者金融は個人向けの小口融資がメイン。でも昔のサラ金地獄とか危ないイメージが強くてイマイチ信用ないんだよね~、というのが悩みでした。

だから両者が手を結べば…

銀行は、苦手だった個人向け融資をカバーできる!

消費者金融は、大手銀行がバックにつくことで社会的信用を得られる!

というわけです。両方にメリットがあったのですね。

どう変わったの?

では消費者金融が有名銀行のグループに入ることでどんな変化があったのでしょうか?

なんといっても安心してお金を借りることができるようになったこと。

お金を借りるときに一番心配になるのがまず「安全な会社か」「金利は合法か」「個人情報の管理は大丈夫か」「暴力的な取り立てはないか」だと思います。

有名銀行ならすぐに倒産なんていう心配もない。契約時に金利や借入れ条件もきちんと説明される。セキュリティ対策や返済が苦しくなった時の対応についても信用できるかな。

その結果、私たちも安心してお金を借りることができるようになりました。これは大きな進歩ですよね。

さて、ここまで貸金業の歴史とサラ金の由来について解説してきました。

いろいろな歴史、難局を乗り越えてきたのですね。

これからも目まぐるしく変わる社会情勢。私たちも節度のあるお金の借り方をしたいものです。

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